Saturday, June 25, 2011

Real Time

************
 
お互いがお互いに乗っててそれでいいんだったらいいんかな。
2011/06/25 (Sat) 2:26
************

Thursday, June 23, 2011

No Title

また少し何か書いてみようかとも思っています。

中学・高校のわたしは、ここへつらつらつららと文章を書いていたことによってカタルシス効果を得られていたように思いますので。


あたしはあたしを救いたい。

できるなら鬼束ちひろを聞きたいよー。

Tuesday, June 21, 2011

***まるでこどものような日記***

 たまに考えること。 

私が死ぬときに、もしお父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟の姿が、アタマの中に浮かんだら。 

その家族はどの家にいるんだろうかってこと。 


我が家は決して転勤族ではないですが、よく引っ越しをしました。 

私が保育園の年中に上がる時、年長の夏、小5に上がる時、高2の途中・・・ 

加えて私だけ、高2に上がる時、高3の夏、大学に行く時。 


・・・6回引っ越してるのか。私は。 


年長の夏から上京するまでは、ずっと松本に借家で住んでいました。 

ひとつの家に、最短で8ヵ月、最長で6年住みました。 

死にたかった場所も、生きたかった場所も松本。 

私が愛した・愛するたくさんのひとがいる松本は、「私をつくった街」だと言えます。 


そんな私が小さい頃ほしかったものは、「家」でした。 

マンションでも一戸建てでも、古くても新しくても、誰と住んでいても、 

マイホームに住んでいる友達が、うらやましかった。 

住むものとしての家に加えて、持ち物としての家があることが、うらやましかった。 

「自分達家族のもの」があるという安心感が、ほしかったのかもしれない。 


私にも、いずれマイホームになる家は最初からありました。 

大町にある、父方の実家です。 

だけど父方の実家は父方の実家に過ぎず、 

実家のことを「リカちゃんの家なんだから」とおばさんに言われても、 

いまいちその実感は持てませんでした。 


祖父が亡くなり、祖母も亡くなり、誰もいなくなった大町の家。 

その家に、両親が住む目途が立ちました。 


あんなにほしかったマイホーム。持ち物としての家。安心感。 

ほしかったはずなのに、はずなのに、私は今とてもさみしい気持ちでいっぱいです。 

それはきっと、「帰る」場所だったところが、用がないと行けない場所にかわってしまうからだと思います。 

別に家族揃って北海道に移住するとか、ひとりだけ海外に永住するとかじゃないんですが、 

ただただ、さみしいのです。 

もうとっくに上京して離れているから、何を言ってるんだろうと自分でも思いますが、 

松本から、離れたくない。離れるのがさみしい。そう思うのです。 



これからは帰省するときは大町に帰る・・・のだろうけど、私の家という感覚は、ちょっとやそっとのことではならない気がします。実際住むわけではないし。 

「私の家」は、どこだったんだろう。死ぬときのおたのしみにしときます。 

でもっていつも以上に「だから何日記」でごめんなさい(笑)。 




引っ越しは来月末です。 

松本には、夏に来たから、夏に去ります。そういうことにします。 


また別個に、大町の住所など送ります。 

Thursday, June 16, 2011

No Title

それでいい。

そのままでいい。

それで保ってるならそれでいい。

Wednesday, June 15, 2011

S N S

mixiとtwitter、mixiとfacebook、とかって、ふたつ重なっても、みっつはお友達にならないように・・・

ならないように、というか、なれなくていい、と思ってる。


なれたらそれはありがたーいことです。もちろん。





・・・・・タンブラーって何??

Wednesday, June 1, 2011

Real Time

************
 
探してはいないけど、

見つかるような気がしてしまう。

アイツやあのコやあのひとが、

どこかにいる気がしてしまう。
2011/06/01 (Wed) 12:51

************